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言葉づかい(2、人の心を種として)

前回、文章を書くときのことを

「人間の脳という土があり、書きたいことの幹があり、そこに『ことの葉』という葉っぱがついている様子をイメージ」と書きました。

先日、改めて、初めて「言の葉」という言葉が出てきた『古今和歌集』の冒頭文「仮名序」を読むと、下記のように書いてありました。

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。 世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。 花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。

『古今和歌集』「仮名序」

「人の心を種として」いろいろな言の葉になると表現されています。はるか昔にこのように表現されていたことが感動的です。そしてこのことは、現代も変わっていません。

言葉は人の心を種として繁り、人は言葉を使って歌を詠まずにいられない。伝達手段として言葉を使っているのではなく、表現して心を慰めたり、感動を記したりするものでもあるのです。

音楽を奏でたり、絵を描いたりするのと似ています。誰に見せなくても、書いて表現するだけで気持ちがすっきりしたり癒されたりします。

自己表現としての言葉を、文章のプロではない人に伝えていくのが「ことの葉舎」の役割なのかもしれません。

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